■村の方々が通い慣れた元クリニックに診療場所を移転
トルコ・シリア地震発災から既に1ヵ月が経過。そんな中、嵐になる予報があり安全面を考慮してテントでの診療から、村にあった唯一のクリニックに場所を移しました。
被災前にこのクリニックを運営していた医師に、私達がこの村で活動していることを話すと、「村の人のために尽くしてくれて本当にありがとう。ここにあるものは何でも使ってください」と話してくれました。
被災地域全体で医師が少なくなったいま、彼も幾つかの村を診療で駆け回っていて、なかなかタニシュマ村には帰ってこられない状況だということがわかりました。
彼は私達にとても感謝し、快くクリニックを使わせてくれました。
また、クリニックへ荷物を運び込んでいると、どこからともなく近隣住民の方々が集まり、掃除・運搬などを手伝ってくれました。
ロスターの小里看護師は「私たちが助けに来たはずなのにトルコの人たちにいつも励まされている」とトルコの方々の人柄に感激していました。
彼らは、日頃からのかかりつけのクリニックが復旧することを知って感謝するとともにホッとした様子でした。
■子どもが多いタニシュマ村、リーダーの稲葉医師らが小児診療にあたる
医療支援を行っているトルコのタニシュマ村へ、空飛ぶ捜索医療団”ARROWS”のプロジェクトリーダーである稲葉医師も派遣され、現地で診療にあたりました。
稲葉医師は「医療が十分届いていない地域があり、そういう小さなニーズにこそ応えるのがNGOとしての我々の役目。確実に医療を届けるために来た。災害医療と空飛ぶ捜索医療団が日本で取り組む僻地診療は似ているが、実際現場に来て違うのは子どもが多いこと。小児医療も含めて様々な処置が必要になる。実際にテントでの避難生活が続き、風邪や寄生虫などの感染症で受診する子どもや家族が増えている。一人の医者として、困っている患者さんの役に立ちたい」と話しました。
また、次いで登録派遣隊員として派遣された山田医師は、自身のお子さんが数週間前に生まれたばかり。
「ここにはまだ小さい子どもや、生まれて数日の赤ちゃんもたくさんいる。寒暖差も激しくテントでの生活はかなり厳しい。父親だからこそできることをしたい」と語り、トルコに送り出してくれた日本で待つ家族にも感謝をしていました。
これからも、医療が届かない地域の人々を支援するため、私達は活動を続けていきます。
2023年2月6日にトルコ南部でマグニチュード7.8の大地震が発生してから、今日で1ヵ月。
空飛ぶ捜索医療団は、発災当日に日本から緊急支援チームを派遣し、捜索救助活動・物資支援活動・医療支援活動を行ってきました。
発災直後、混乱する現地での活動には、さまざまな障壁がありました。
壁にぶつかるたび、チームは「どうすれば一秒でも早く、一人でも多くの人を救えるのか」を考えて調整を続け、幾度となく壁を乗り越え、必要とする人たちに支援を届けてきました。
このような支援活動は、世界中の皆さまから寄せられたご寄付、そして、現地トルコの方々の「一緒に頑張ろう」という協力があってこそ、できたことです。
被災地ではまだまだ厳しい状況が続いています。
この地震で、およそ5万2000人が死亡したといわれています。
大切な人を失くし、家を失くし、傷ついた人々はさらにたくさんいます。
私たちはこれからも、現地で必要な人に支援を届け続けます。
引き続き、皆さまのあたたかいご支援をお願いいたします。
ロシアによるウクライナ侵攻の開始から一年が経過しました。
ピースウィンズのキーウ事務所で働く現地スタッフは言います。
「皆なんとかして元の生活に戻ろうとしている。でも突然ミサイルが飛んできたりするから、将来を考えることができない。日常に戻ろうとしているけど、何度も引き戻されてしまうんだ」
家や仕事、家族や友人、穏やかな日常──。
ウクライナの人々は、この一年でさまざまなものを失いました。
一見、普段通りの生活をしているように見えますが、「ここには傷ついていない人はひとりもいない」のです。
ロシアのウクライナ侵攻より2日後の2022年2月26日よりポーランド、3月8日よりモルドバに日本からスタッフを派遣、現在まで、現地提携団体と連携したウクライナ国内の支援とモルドバを拠点とする避難民支援を並行して展開しています。
ウクライナ国内では、病院への医薬品の支援、激戦地の東部地域からの退避支援、心理社会的支援、避難所支援、ペット連れ市民へのペットフード支援などを行ってきました。また、病院や幼稚園、学校の再開に向けた支援も行っています。
首都キシナウに事務所を開設、日本人スタッフが駐在し、キシナウ市内の避難所および周辺に滞在する避難民を対象に支援を実施しています。
・食糧・日用品、ペットフード等 物資支援
・教育支援
・医療・健康支援(2022年9月いっぱいで終了)
2022年4月から9月まで、キシナウ市営避難所に設置した仮設診療所では、日本から派遣された医師、看護師、薬剤師が診療にあたり、エコーや心電図による検査や、医師が必要と判断した場合は薬剤の無償提供を行いました。
ピースウィンズは、この仮設診療所で昨年4月から7月までに診療した1100人の避難民のカルテを分析しました。データ分析の結果、侵攻から1ヵ月後の4月に、血圧が140mmHgを超える「病的高血圧症」の方が多く見られました。
しかし、その後は5月から7月までは高血圧症の患者数に大きな差が見えず、侵攻当初のストレスが体に与えたインパクトがデータに反映された形となりました。
避難民の方の様子も、侵攻当初は、スマホで破壊された自宅の様子をみせてくれたり、診察室で泣き崩れてしまったりする方が多くおられました。しかし、だんだん、そういった訴えは落ち着き、金銭的な問題など、現在の生活の困難さを訴える方が増えていきました。
モルドバで診療をし、現在もウクライナ支援事業に携わるピースウィンズ・ 空飛ぶ捜索医療団”ARROWS” の長嶋医師は、 この一年のウクライナの人々の変化について、「避難民の方は今、悪い意味でこの環境に適応してしまっている。ウクライナでは毎日空襲警報が鳴るが、避難しない人もいる。24時間避難の可能性のある生活をしてきて、そのようなリスクを無視しなければ心のバランスを取れなくなってしまっているのではないか。不安を訴える人は減ったが、それは命の不安から目を逸らすことで心のバランスを取っているからではないかと思う」と心配を語りました。
ウクライナ侵攻はいまだ終わりが見えていません。避難した方々も、いつ故郷に帰れるのかわからない日々が続いています。
一年前、私たちの支援の呼びかけに対し、多くの日本の方々が「ウクライナに届けてほしい」とご寄付を託してくださり、物資や食料、医療や教育など、さまざまな支援を展開することができました。 皆さまのあたたかいご寄付に、あらためて感謝申し上げます。ありがとうございました。
しかし、今もまだ傷ついた人々の苦難は続いています。平和な日常を奪われた人々が元の暮らしに戻るには、何年もかかると言われています。
私たちは平和が戻るその日まで、ウクライナの人々の未来のための支援を続けたいと考えています。
■タニシュマ村で医療支援
2月25日からはこれまで青空の下で行ってきた医療相談も、ついにタープが立ち診療を開始することができました。
当初はすでに大型のテントが完成する予定でしたが、予定通りに進まない状況を前に、調整員の矢加部は「(第一陣でリーダーを担った)坂田医師から『1日後のことは考えない』と教わった」と冷静でした。
この日でトルコでの活動が最終日となる長嶋医師は「毎日、患者数が増えている。最初は徒歩圏内の患者が多かったが車で訪れる人も多くなった。とにかく医者の数が足りないので、ぜひ医療資格を持つ方々は空飛ぶ捜索医療団のロスター隊員に登録して手を上げていただけると、住民の方々の力になれる」と語りました。
同じく最終日を迎えるロスター隊員の岡本看護師は「最初は町中がスクラップ工場のようで言葉が出ませんでした。私はレスキューはできないけれど、声を掛けることはできる。日本語の『お気の毒です』にあたる『Geçmiş olsun』の一言でも、せめて現地の言葉で伝えられるようにしました」と、地震で傷ついたトルコの人々への想いを語りました。
この後も空飛ぶ捜索医療団の所属医師やロスター隊員などが入れ替わりで現地に入り、医療支援を続けていきます。
■子どもたちの“心を癒す”メルさんのプレイルーム
多くの患者さんが訪れる診療テントの入口横に、子どもたちが集まっているスペースがあります。
私たちの活動を支えてくれている通訳のメルさんは、もともと幼稚園の園長さん。トルコ北部に住む彼女は、南東部での地震が起きてから職場を任せてすぐに支援に入りました。
メルさんが被災地支援に入ることを知った幼稚園の先生たちや友人は、「ぜひ被災した子どもたちに!」とおもちゃや机・椅子・滑り台などを届けてくれました。
診療には、体調を崩した子どもたちが親御さんに連れられてたくさんやってきます。そんな不安そうな子どもたちを少しでも笑顔にできたらと、メルさんの発案で、診療テント入口横のスペースをプレイルームにすることにしました。
お絵描き用紙やクレヨンを見つけた子どもたちは、それぞれ好きな色を使ってキャラクターを描いたり、自分の家族を描いたりして見せあいっこして遊んでいます。今では診療開始から終了の時間まで、絶えず子どもたちが遊びにくるようになりました。
メルさんは「このテントの白い壁が見えないくらい(子どもたちが避難所や仮設診療所であることを忘れるくらい)に、絵でいっぱいにしたいんです!」と語りました。
メルさんの幼稚園の先生方から寄せられたおもちゃは他にもいろいろ届いており、ゆくゆくはもう少し広いスペースで、村の子どもたちが安心して遊びに集まれる、不安を忘れられるような場所を作りたいと語っていました。
このような活動ができるのも、私たちの活動を支えてくださる皆さまのお力添えがあってこそです。
引き続き、あたたかいご支援をお願いいたします。
支援チームは2月23日から、大きな被害を受けたトルコ・タニシュマ村で物資配布を開始しました。
数日前の調査では「村の建物の90%は倒壊した」「物資を運んでもらう約束だったけれど、来なかった」「届いたのは食料が1回。古着はたくさん届いた」と語っていた村の人たち。
「(支援団体に)物資をお願いしたけれど……誰も持って来てくれない」と、疲れの滲む表情で訴えていました。
街の中心から離れたへき地には、支援が行き届かないという現実があります。
「必要な人々に、必要な支援を」──空飛ぶ捜索医療団を運営するピースウィンズ・ジャパンはこの言葉を合言葉に活動をしていますが、調整員の井上は「私たちが見た『必要』と、村の人の『必要』が同じかどうかはわからない」と言います。
村にはどこからか支援として古着がたくさん届いたようですが、ここでは古着を着る文化はなく、村の人たちは古着を持て余しているようでした。このようなミスマッチを防ぐため、支援を届ける前には、しっかりと現地の方からお話を聞く「ニーズ調査」を行い、細かな調整を進めていきます。
調達した物資をどうやって、どの世帯に配るかも、村の人々と調整します。
村長の声かけで10名以上の若者が集まり、調達した物資の梱包を手伝ってくださいました。
配布に出発する前には、車のタイヤがはまって動かなくなってしまうハプニングもありましたが、集まった方々の協力で無事に抜け出すことができました。
物資配布を行った先では、ビニールハウスをテント代わりに25人が寝ている状況。物資を求める人で人だかりができる中、村長のお孫さんがテキパキと捌き、大きな混乱もなく配り切ることができました。
調整員の矢加部は「現地の人も即席のチーム。村長のお孫さんをはじめとした10人の若者たちと私たちがチームになって、被災地の問題を一緒になんとかするというプロセスを共有できた」と現地の若者たちへの感謝と、共に困難の解決に向けて取り組むことができた喜びを語りました。
配布先の住民の方は「物資が配布される時は中心部で一斉に配布されることが多い。私たちのように中心から離れた場所に暮らしていると連絡すらないこともよくある。家の前まで来てくれるのは本当にありがたいです」と話し、チャイ(紅茶)ではなくコーヒーに誘ってくださいました。現地ではチャイが日常的によく飲まれますが、コーヒーは手間がかかる分、チャイよりもおもてなし度が高いといわれています。厳しい避難生活の中でも、私たちをもてなそうとしてくださるやさしいトルコの方々の思いを胸に、これからも支援を続けます。
2023年災害派遣トレーニング(導入研修)の参加者募集を開始しました。
空飛ぶ捜索医療団派遣トレーニングとは:https://arrows.red/training2023-1/
【日時】 | 2023年5月27日(土)〜28日(日) |
【募集人数】 | 30名程度 |
【募集締切】 | 2023年4月17日(月)17:00まで |
【募集対象者】 | ARROWSに関心があり活動に携わりたい方/登録隊員制度にお申込みいただいた方。 災害派遣時などに活かせる専門性をお持ちの方(例:医師・看護師・獣医師・薬剤師・助産師・救急救命士・救助隊員・救助犬ハンドラー・ロジスティシャン等) |
【場所】 | 帝釈峡スコラ高原 〒729-3601 広島県神石郡神石高原町相渡2167 |
【集合解散時間】 | 集合:2023年5月27日 12:00 解散:2023年5月28日 16:30 |
【研修参加費】 | ¥20,000- [食事:夕・朝・昼、宿泊代込、福山駅⇔現地送迎無料] |
【宿泊場所】 | 帝釈峡スコラ高原内(テント泊) |
【講師陣】 | ①稲葉基高:医師 プロジェクトリーダー。国内外での多数の災害医療支援の経験を持つ。救急科専門医、外科指導医消化器外科指導医、集中治療医、総括DMAT ②橋本笙子:国内事業次長 約8年システムエンジニアとして就労後、国際協力NGOで広報、支援者対応、国内外の事業管理等を担当し24年勤務。 |
【参加方法】 | 参加を希望される方は下記からご応募ください。 https://forms.gle/1RyfJDBq6tk2LNDd9 |
トルコで支援活動を続けているピースウィンズのスタッフは、へき地タニシュマで支援ニーズの調査を行いました。
■日本とトルコ 繋ぐ支援
今回の調査は、日本の国際協力機構(JICA)での活動経験もあり、現地トルコの災害担当でもある歯科医師のウフク医師に、タニシュマの村長を紹介してもらい行われました。
ウフク医師は「JICAで活動していたこともあった。今想うと、あの日々はこの日のためにあった」と、日本とトルコの個人的な繋がりが被災したトルコで結ばれていくことを感慨深く語ってくれました。
この街の建物は約半数が倒壊し、850世帯中750世帯はテントなどで生活しているといいます。ここでは700のテントが必要だとトルコ政府に申請したそうですが、提供されたのは200張で、ヘリから支援物資のテントが投下されたため、1世帯に3つのテントがある世帯もあれば1つもない世帯もあり、均等に行き渡っていないのだそうです。
現地住民によると「ここに複数の支援団体がニーズ調査にやってきましたが、1回の食料支援しか来ていません。家が崩れかけているので中に入るのも怖くて庭にテントを張って生活しています。近くにあったお店も倒壊したため、贅沢を言うつもりはないですが、コーヒーやお茶なども毎日減っていく一方なんです」と先の見えない不安を露わにしていました。
スタッフの井上は「電線の修理をしている箇所が複数あって、おそらく電気が止まっている家庭もあるようです。街の中心から離れたこのエリアはインフラの支援の手が届きづらいエリア。医療支援と共に提供したい」と支援の必要性について話しました。
■医師のいなくなった診療所をひとりで守る看護師
村長のご自宅に現地の状況の聞き取りに伺い、周辺5地区唯一の診療所を案内してもらいました。
この診療所には医師が2人いたそうですが、発災後に避難し、いつ戻ってくるかはわからないそうです。発災後は現地出身の看護師が実家に避難する形でいてくれているそうで、診療所としてではなく口コミでやってきた1日5.6人の患者を看護師が診ています。自身も被災し顔に傷を負った看護師は「主には外で暮らす方々の風邪症状が多い。ドクターがいないから薬が処方できないんです」と悔しそうに話しました。
このように街の中心地から離れた場所には、まだまだ支援が行き届かず、途方に暮れている人々がいます。
発災から時間が経つにつれ、被害の甚大さが明らかになってきました。
トルコでの支援は長期化する見込みです。どうぞこれからも、ご関心をお寄せください。
そして、私たちの活動に引き続きあたたかいご支援をお願いいたします。
ニーズに応えて、いち早く。──そのためにチームが全力を投じて調整を行っていた民生用(個人用)テントの一部である53張が、2月16日、アドゥヤマンの村に建てられました。
調査チームが初めてアドゥヤマンの町に入ったのは2月11日。当時、既に被災地の多くに国際支援が入りつつあった中、甚大な被害がありながらも支援の手が行き届いていないとの情報が散見されたアドゥヤマン。先遣隊が見たのは言葉を失うほどの惨状でした。
チームの一員である北川看護師は「ニーズを確認するため市内を回ったが、どこも倒壊した建物だらけで、その前には行方不明の家族や友人を待つ人たちばかり。病院も被災し、崩壊を免れた施設も損傷が激しくほぼ使えない状態。“医療者は足りているが、それは運ばれてくる人のほとんどが既に死亡しているから” と言われたほど」と当時の惨状を振り返ります。
これまでハタイやガジアンテプで支援してきたチームが驚くほどに、アドゥヤマンの気温は低く、「昨晩は−7℃だった」と語るのは1人の被災者。大勢の人々が家を失い途方に暮れる中で、少しでも風が避けられて、安心して家族で眠れるテントのニーズが病院をはじめ各所で叫ばれていました。
いち早くニーズに応えようとするも、国内市場でテントを大量に購入することは困難だったため、私たちは姉妹団体のアジアパシフィックアライアンス (A-PAD) と協力して台湾で110張のテントを確保。週末も職員総出で梱包してくれた台湾企業や、輸送費を負担してくれたトルコ航空、必要な場所に即座に届くよう取り計らってくれたトルコの災害対策省庁、また積み込みや設営をサポートしてくれたトルコ軍など、様々な人々のあたたかい想いが紡ぎ合わさり、考えうる最速のルートで被災地アドゥヤマンまでテントを輸送することができました。
輸送調整に携わったスタッフの矢加部は「私たちは何度も倒壊現場を見るが、暖房の聞いた室内で見るのと、実際に被災者と同じ空気を吸って見るのとではまるで違う。昨晩はこの街で一泊したが、ホテルでも寒さで夜は眠れなかった。身に染みるこの寒さの中でテント生活を強いられている人、さらにそのテントにアクセスすらできない人のことを思うと心が痛む。限られた数ではあるが、未だ届いていない村にテントを届けれたので、これが少しでも役に立てば」と語ります。
北川看護師は「何か力になれることがしたいと思っていたが、自分にできることはあまりにも限られていて……今日こうしてテントが届いて村の人に使ってもらえてよかった」と涙を浮かべました。
空飛ぶ捜索医療団は引き続き、現地に必要な支援を届け続けます。
ピースウィンズは、2月6日の地震発生当日にすみやかに緊急支援チームを派遣。現地でニーズの調査を行いながら、支援の届いていない地域で物資支援を続けてきました。
発災から一週間が経ちましたが、物資が十分に届かず、継続的な支援が必要な地域はいまだあります。
「もう、イスケンデルンという街はない」
大きな被害を受けた故郷の街について、そう話した被災者の方。
私たちが訪れた郊外の街では、余震での倒壊を恐れ、壊れかけた家に入ることができずに厳しい寒さに耐えながら路上で避難生活を送る人々に出会いました。
アクセスしやすい街の中心部にはある程度支援が届いていましたが、こうした郊外の人々は取り残されたような状態です。
ニーズ調査の結果を元に、チームは物資を調達。物資を1家族分ずつ梱包する作業には、現地トルコの方々が手を貸してくださいました。支援は、私たちだけでなく、こうした現地の方々の「自分にもなにかできないか」というあたたかい気持ちが集まって実現しています。
用意された物資は、ニーズ調査の際に訪れた街にも届けることができました。
避難所から遠く、やっとのことでたどり着いても、すでに何も残っていなかったというご家族にも、水や食料、衛生用品、ストーブやペットフードを届けました。
被災者の中には、障害を持った方も大勢います。避難することが困難な身体の不自由な方々への支援が今後も必要とされています。
被害の大きい地域アドゥヤマンの病院では、暖房器具やテントが足りていないという報告が上がっていました。実際に訪れてみると、患者さんは大型テントで雑魚寝をしているような状態で、診療にあたる医療スタッフがゆっくり体を休める場所もありません。
そこで、台湾から大型のテントを手配。台湾の企業からの寄贈や寄付もあり、110張のテントがトルコへ発送されました。テントは2月15日にトルコに到着し、病院に提供されました。
こうした、いまだ支援が届かない取り残された地域には、移動手段を持たなかったり、身体が不自由だったりと、支援を受けにくい人々がいます。
スタッフの矢加部は「行政の支援から零れ落ちたニーズにしっかり応えていくのが、私たちNGOの大事な役割だと思っています」と語りました。
世界中のたくさんの人々が、トルコの人々の無事を祈った一週間。
私たちは引き続き、皆さまの想いと共に支援を届けます。
空飛ぶ捜索医療団”ARROWS”は、トルコ・ガジアンテプ郊外の元職業訓練校において、仮設診療所を運営しています。
この場所には現在、国際緊急援助隊(以下JDR)が24時間対応可能な救急外来、手術、透析、診療に必要な検査の機能を備えた診療サイト(野営病院)を設営中です。
医療のニーズが高かった当地で、診療サイト運営開始までの期間の診療を、空飛ぶ捜索医療団”ARROWS”の仮設診療所が担います。空飛ぶ捜索医療団は診療を行うとともに、診療サイトの運営がスムーズに開始できるよう、仮設診療所の運営を通じたノウハウや課題をJDRと共有する予定です。
仮設診療所には診察室を2部屋設け、空飛ぶ捜索医療団(医師3人、看護師1人ほか救急救命士、現地語通訳等)およびJDRの医療チームが被災者の診療にあたっています。
空飛ぶ捜索医療団ではこれまで、ウクライナ危機を受けて隣国モルドバの避難所に仮設診療所を開設して避難民の診療にあたってきた経験があり、そのときモルドバで活動した医師・看護師も今回のトルコでの診療に参加しています。
診療室のホワイトボードには、「力になりたくて日本から来ました」 とスタッフがメッセージを書きました。
すると、その周りには、子どもたちや患者さんからの「助けに来てくれてありがとう」というあたたかいメッセージや、子どもたちの可愛い絵、「平和(ピース)の象徴なのよ」といって描いていたという小鳥の絵などの寄せ書きが。
仮設診療所で診療にあたる北川看護師は「トルコの方々も大変なはずなのに、私たちのことをたくさん気にかけてくれて、あたたかい言葉をかけてくれて、おもてなししてくれる。だから、疲れていても力が出るんです」と話しました。
空飛ぶ捜索医療団”ARROWS”は引き続き、地震の被害に遭われた方々の支援を続けていきます。